ブロック職人とも呼ばれ、日本男子バレー日本代表がパリオリンピック出場権を獲得することに貢献した高橋健太郎(たかはしけんたろう)選手。
イケメンパパ選手としても、女性やバレーファンからは大人気の選手なんです。
今回はそんな高橋健太郎選手の高校・中学やwiki風プロフィールなどについて、調べてみました。
【男子バレー】高橋健太郎選手の高校や中学はどこ?
高橋健太郎選手の出身高校
高橋選手の出身高校は、山形県にある私立米沢中央高等学校です。
今では日本代表にも選ばれる高橋選手ですが、実はバレーボールを始めたのはこの米沢中央高校に入学してからでした。
それまでは野球少年でプロ野球選手を目指していた高橋選手は、肘の故障により野球を継続することを断念。
その後スポーツをすること自体諦めモードだったようですが、願書提出の際に米沢中央高校のバレー部顧問の目に留まり、バレー部に入部したという経緯があります。
高橋健太郎選手の出身中学
高橋健太郎選手の出身中学は、山形県東置賜郡川西町にある川西町立第一中学校です。
※現在は統合を経て、川西町立川西中学校となっています。
山形県の川西町が地元の高橋選手は、中学校は地元の学校に通ったようですね。
先述しましたが高橋選手は中学校時代は、甲子園とプロ野球選手を夢見ていた野球少年でした。
父親と二人三脚でトレーニングもしてきたようですが、怪我で野球への挫折を経験しています。
【男子バレー】高橋健太郎選手wiki風プロフィール
名前 | 高橋 健太郎 (たかはし けんたろう) |
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生年月日 | 1995年2月8日 |
出身 | 山形県東置賜郡川西町 (やまがたけんひがしおきたまぐんかわにしまち) |
身長/体重 | 202cm/93kg |
ポジション | ミドルブロッカー |
血液型 | A型 |
ストレス解消法 | 子供との時間 |
特技 | 家の掃除 |
座右の銘 | 凡事徹底 |
学歴 | 川西町立第一中学校 米沢中央高等学校 筑波大学 |
【男子バレー】高橋健太郎選手のバレーボール経歴は?
学生時代のバレーボール経歴
- 高校1年生からバレーボールを始める
- 3年時に全日本ユースに選出、銅メダル獲得に貢献
- 2013年 筑波大学に進学しバレーボールを継続
- 2014年4月 全日本メンバーに登録
- 2015年2月 右ひざ骨折
- 2015年9月 ワールドカップデビュー
高橋選手は米沢中央高校としては、大きな結果を残すことはできなかったようです。
インタビューでも、練習は楽しいものではなかったと語っていました。
しかし3年時には個人で全日本ユースに選出され、アジア大会での銅メダル獲得に貢献しています。
この大会で日の丸をつけて海外の選手と闘ったことで、高橋選手のバレーボールに対する気持ちに転機があったそうです。
その後は筑波大学に進学し、在学中に全日本登録メンバーにも選出されています。
活躍が期待された直後に2015年の右ひざのケガがあり、高橋選手は一時代表を離脱してしまいました。
しかし同年の9月のワールドカップで復帰し、メジャー大会デビューを果たしています。
社会人時代のバレーボール経歴
- 2017年 東レアローズに入部
- 2021年 目標だった東京五輪のメンバーから落選
- 引退を決意するも妻の助言で持ち直す
- 2021-2022シーズンはブロックが成長し、Vリーグで多数の賞を受賞
- 2022-2023シーズンはV1リーグでブロック賞を受賞
- 2024年3月末で東レアローズを退団→プロ選手に
2017年に実業団の東レアローズに入部した髙橋選手。
「NEXT4」として同時期に注目されていた、石川祐希選手・柳田将洋選手・山内昌大選手がどんどん成績を残す中、とても焦っていた時期があったそうです。
目指していた東京五輪のメンバーから落選したときは、どん底に落ちて家族にも引退すると宣言した高橋選手。
しかし妻のアドバイスでもう一度頑張ることを決め、ブロックの強化に取り組んできました。
その成果もあり今ではブロック職人と呼ばれ2024年日本代表登録メンバーにも選出、パリ五輪での活躍が期待されています。
そんな高橋選手は7年間在籍してきた東レアローズを2024年3月いっぱいで退団。
今後はヒミツとしながらも、プロ選手としての道を決意されたようです。